長興寺について

長興寺は、大同元年(西暦806年)徳一大師の開いた寺と伝えられますが、史実は明らかでありません。建治元年(西暦1275年)痴鈍空性大和尚が中興開山しています。当時は建長寺派でしたが、芳巌琢和尚(西暦1701年寂)の時代より妙心寺派となりました。長興寺は末寺十四ヶ寺を持つ中本寺として、子弟を育成する専門道場でした。痴鈍空性大和尚(大織冠鎌足の子孫 北家藤原より伊賀家18代光宗の四男)は、飯野八幡宮の宮司 飯野盛男氏の祖先で、鎌倉建長寺開山 大覚禅師(大宗国西蜀の沙門道隆蘭渓)の弟子となり、今の中国に渡って勉強し、日本に帰って宗門を大いに広めました。 後に、いわきの地に帰り長興寺 普門寺 霊山寺 禅福寺の四ヶ寺を開山、小名浜野田の禅福寺で正安三年(西暦1301年)に亡くなりました。 徳川三代将軍家光の時代 慶安元年(西暦1648年)から明治時代に至るまで、朱印十石、山林竹木・諸役の免除を受けました。 明治初年の失火によって、七堂伽藍・什宝・記録等のすべてを消失して特筆すべきものはありませんが、山門(慶長七年(西暦1602年)の記録に飛騨の甚五郎作とある)及び山号額 元禄二年(西暦1689年)だけが昔をしのぶ唯一の宝として残されています。 本尊は、もとは十一面観世音菩薩(現在黒焦げの姿で残る)でしたが、今は釈迦牟尼佛で、作者、年代とも不明です。 別に住職の秘宝として、大覚禅師が中国より持参したと伝えられる達磨大師の立像一体があります。

年中行事

正月
修正会(1日〜3日)
2月
涅槃会(15日)
3月
彼岸会
4月
花まつり(8日)
6月
開山忌(26日)
8月
盂蘭盆会
9月
彼岸会・施餓鬼会(26日)
12月
成道会(8日)・除夜の鐘(31日)

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